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樋口一夫先生との12年(一弁会報追悼特集記事への寄稿) – 弁護士鶴間洋平の「新時代のプロフェッションを目指して」
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樋口一夫先生との12年(一弁会報追悼特集記事への寄稿)

元ボスの樋口が亡くなって、2ヶ月半が経過しました。一弁会報の特集記事向けに書いた追悼文が、一部で好評のようでしたので、サイトにも転載します。校正前のデータですので、てにおは等、一部会報記事と異なっているところがあるかもしれませんが、ご容赦下さい。

樋口一夫先生との12年

私が樋口一夫先生の下でイソ弁になったのは平成12年10月のことで、それから12年あまりが経ちました。12年前の新入会員歓迎会では、先輩の先生方から「樋口先生は優秀な先生だからよく勉強させてもらいなさい」という言葉と「大変な事務所に入ったね」という言葉の両方をかけられました。

その後8年ほどはイソ弁、その後1年はノキ弁、その後はパートナーとして一緒に過ごしてきましたが、整理整頓が全くできず机の上は50センチを超える書類の山でキーボードを置くスペースすら満足にありませんでしたし、出される指示も大雑把で適当だったりするので、最初は何がどう優秀なのかよくわかりませんでした。しかし、会務の面だけでなく弁護士業務の面でも先輩弁護士から非常に信頼されていましたから、何か秘密があるのだろうとは思いました。

しかし、12年も一緒にいる間に、さすがにいろいろとわかってきました。

まず何より感じたのは、勝負事に非常に強かったということです。「勝負に強い」というのとは違いますし、判断がギャンブル的だったという意味でもありません。勝負に全部勝ったわけではありませんし、そもそも全部勝てるわけもありません。しかし、この勝負が勝てるのか勝てないのか、勝てるとすると勝機はどこにあり、それを実現するのに何が必要か、一方で勝てないならどうすべきなのかという判断が、非常に的確でした。そして、本人の日頃の言動からすると意外に思われるかもしれませんが、その判断のもとになる「常識」を非常に重視されていました。

また、物事が常に変化していくことを前提として、常に先を読んでいました。現在何がどうなっているのかの分析に終始するのではなく、「現在どういう流れにあるか」とか「風がどちらに吹いているのか」ということを強く意識していました。そして、こちらに流れがないときに「どうやったら流れを作れるのか」ということもよく考えていました。

上記のどちらも、言ってみれば当然考えるべきことであり、特別な能力ではないと思われるかもしれません。しかし、私も公私にわたり沢山の先生方とお付き合いをさせて頂いていますが、こう感じさせてくれる先生は少ないものです。私も常に気をつけなければなりませんが、弁護士という職業柄か、原理原則に縛られて思考がそこから抜け出せないのではないかとか、物事を詳細に分析しすぎて大小軽重が判断できなくなっているのではないかと思うことの方が、ずっと多く感じます。

ここ数年も、樋口先生から例えば書面の一字一句を修正されるというようなことは全くなくなっていましたが、まだまだ勉強させてもらいたいことは沢山ありました。その機会が永遠に失われてしまったことは本当に残念です。

樋口先生は、体調を崩されてから亡くなられる直前まで、自らの手でいくつかの文章を書き残しましたが、そのどれも、一定の弁護士の発言にまま見られるような、脳天気としか言いようのない楽観的なものではありませんでした。これから弁護士業界が、想像を絶するような困難な状況に陥っていくことを前提としながら、それこそ「在野法曹」が「どこに勝機があるのか」を探っていたところだったのでしょう。

元イソ弁が言うようなセリフではないとも思いますが、弁護士会が貴重な「勝負師」を失った影響は、小さくないだろうと思います。私も不肖の弟子として、樋口先生が果たすことができなかったその志を、仲間たちとともに、少しでも引き継いでいければと思います。